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Mini Monologue

Mini Monologueのバックナンバーをまとめました。過去の記事をこちらでお読み頂けます。メールを保存しておかなくても、もう大丈夫です!。

美しき侵略者?

メンバーズ・ルーム「読む」に掲載している駄文「My Monologue」の「ハルジオン」の稿で少し触れましたが、日本の植物分類学の基礎を築き、その発展に多大な貢献をしたのが牧野富太郎博士です。生まれは江戸時代(1862年)、94歳の長寿を全うした牧野博士がその生涯に於いて発見・命名した植物は悠に2000種を越えると言われています。拙稿「ハルジオン」でも紹介した「雑草という名の植物は無い」「私は植物の愛人」という名言のとおり植物へ深い愛情を注ぎ尽くし、研究の為には周囲をも顧みず、その為に誤解を受けることも多かった生涯だったようです。あの〝イヌノフグリ〟の名付け親でもあります。

 私がまだ小学生だった頃、父が所有していた「牧野日本植物圖鑑」を見るのが大好きでした。この図鑑は牧野博士が写生した画で全てが構成されています。当時ですら図鑑といえば殆どがもう写真図鑑でしたのでそれだけでも目を引くものなのに、その植物画の精密で素晴らしいこと。調べてみたところ、発行は大正15年という事が判明しました。復刻版も出版されていますが本としては大変高価。私に○があれば(牧野博士風表現)、神田あたりの古書店を軒並み歩いてでも入手したいところです。当時の図鑑なので解説文は全て旧字体。私にとっては図鑑というより植物画集のようなのものでした。

 牧野博士は小学校しか出ておられませんが、理学博士の肩書を持ち長年にわたって東京大学の教室には無くてならない存在でした。最近になって牧野博士の随筆を電子ブックから何冊かダウンロードしました。パブリックドメインの為、0円!。牧野博士の自由闊達な随筆を読む楽しみが得られた嬉しさで、今回は牧野富太郎博士について書かせて頂きました。

2020/05/06

自由というもの、個人主義というものを間違えて身につけてしまったとしか思えないような人たちの増殖にウンザリしていた今日この頃ですが、いやいや日本人、満更捨てたもんじゃないと思える光景に出会いました。

つい先日、不要不急の外出をつとに控えなければならないこの時期に、どうしても芝・増上寺の近くまで出向かなければならない用件ができました。最寄りの駅までは地下鉄ばかり、二度の乗り換えがあります。マスクは勿論、バッグには携帯用のアルコールスプレイを忍ばせ、いざ地下鉄へ。本来なら駅にはまだ通勤ラッシュの名残が残っているはずの時間帯ですが、そのわりには比較的空いていました。車両に乗った瞬間、違和感を感じました。〝空き方〟が何だか変なのです。座席の状態が違和感の原因でした。座席には律儀にきちんと一人分ずつ間隔を空けて乗客が座っています。その余裕のない車両では座らずに立っているのです。一人分ずつ空いている空間が妙な違和感になって伝わって来たのでした。(へぇぇ、結構やるじゃないの。日本人、偉い!)真面目にそう思いました。私のように電車に乗ることが滅多にない者にとっては新鮮な感動だったのです。以前のメルマガで、スーパーのレジ行列について触れましたが、今では否応なく床に貼ってある線の通りに並ばせられています。お陰でレジと商品棚の間もスイスイ通行できます。ここでも買い物客は黙って線のところで、前にも詰めずに大人しく並んでいるのです。この線はいっそのことずっと残しておいて欲しいと思いながら(やれば出来るじゃないの)ここでもそう思いました。海外メディアが日本の感染率の低さを驚異的だと言っているのも納得です。ところが・・・。居ました、居ました、自由・個人主義を間違えたままの人たちが。開店しているパチンコ屋に並んでいる輩。インタビューにも平然と「自分は若いし」とか「家に居てもすることないし」と、ほざいていらっしゃる方々。(アンタが感染するのは自由だけど、その先を考えられないの?)

責任の伴わない〝自由〟はありません。自由とは本来厳しいものです。自分の頭で考えて、判断して、決定し、行動した結果には責任を持たねばならないのですから大変です。開店しているパチンコ屋も、砂糖にたかる蟻のごとく並んでいる客にも呆れる他ありません。何をか言わんや。

今、医療現場で起こっていることを思う時、一握りの人たちからの影響が〝蟻の一穴〟にならないように、と祈るばかりの昨今です。

2020/05/01

都会に花咲くベニズオウ

湖上に現る!?

時事の話題として、どうしても〝マスク〟の話になってしまいます。やっとマスクパニックも目立たなくなりましたが、まだまだ需給バランスは回復していないようです。そもそもマスクというものはいつ頃から使われ始めたのでしょうか。その歴史は明治初期に遡ります。当初は疾病予防の為ではなく粉塵よけに利用されたというだけあって、真ちゅうの金網を芯にして布を取り付けたという、頑丈な作りだったようです。かけ心地は良くなかったことでしょう。それが1918年に世界中で大流行したインフルエンザ、通称〝スペイン風邪〟をきっかけとして、初めて予防品として使用されるようになりました。昭和になって、再びインフルエンザの大流行でマスクの需要は拡大し、その後、インフルエンザが流行るたびにマスクの出荷は増大して行きます。その流れでいくと、今回のマスクパニックはその最たるもの、ということになるでしょう。ガーゼマスクの登場は1950年。現在の一般的な不織布にプリーツ加工をしたマスクは、1973年から販売されたそうです。花粉症が目立つようになる1980年代からは、防疫の為ではなく花粉を防ぐという新たな用途が生まれました。それからもマスクの改良は進み、立体マスクの登場などで一般家庭で使用されるマスクはますます普及が促進されました。

さて先日、異様な姿の女性を見掛けました。よほど探してもマスクが入手出来なかったのでしょう。ロングストールを頭から被りそれを首に一巻きして、余った両はしで鼻から下を左右から覆って後ろで結んでいたのです。それにサングラス。まるで月光仮面が〝マチコ巻き〟をしたような姿でした。花粉症か予防かで、どうしてもマスクが必要だったに違いありません。彼女にしてみれば苦肉の策、だったのでしょう。

そんな時には是非、手ぬぐいを。切って四周を縫ってゴムを通すだけです。間違ってもそのまま頭から被って鼻の下で結ばないで下さい。夜中、断りなしに家に入ってくるお客さんと間違われても当方は一切の責任は負いません・・・。 

(マスクの歴史については、一般社団法人 日本衛生材料工業連合会のウェブサイトを参考にしております)

2020/04/24

富士山は見ている

前回はマスクのお話をしました。その後、トイレットペーパーとティッシュペーパーが店頭から姿を消し、70年代初めにオイルショックが引き金となったトイレットペーパー買い占め騒動を彷彿とさせる状況となりました。スーパーのレジには、個数制限されたトイレットペーパーを大事そうに抱えた買い物客の行列が出現する事態が発生しておりました。

今回の非常事態宣言で一時、納豆や牛乳・乾麺などのインスタント食品がスーパーの棚から消失しました。また意味不明な買い占めか!、と嫌な予感がしましたが、物資は充分な在庫があるという告知が功を奏したのか、幸いにもスーパーマーケットでは現在も平和が続いています。

レジ前の行列はこれに限ったことではなくても良く見かける状態です。私が気になるのはその列の並び方、なのです。レジから長く伸びた列は商品陳列棚まで延びています。今の時期〝ソーシアル・ディスタンス〟などと言って列に並ぶ時、詰めて並ぶのを避ける事が求められています。が、平時はレジと商品棚との間にもぎっしり詰めて並ばれるので、ちょっと困るのです。

買物客みんなが皆んな、入口を入って順路通りに進む、とは限りません。美術館ではないのですから。買物途中でも目的の棚に向かうのにレジと棚の間を通ることもあるわけです。急いでいる時は最短距離を取りますから特にそうなります。その度にカゴを持ったまま小さくなって通過しなければなりません。どうして人ひとり通れるだけのスキマを作って並ばないのでしょう。不思議です。列が不要に長くなるのを避けるためでしょうか。ひとり分空けたとしても然程、不都合はないように思うのは私だけなのでしょうか。

私がスキマを開けて並んでいる。順番が来て前に詰める。すると後ろに並んでいた人は当然のように私について進み、スキマを埋めてしまう。と、そこを通る人は「すみません、すみません」と謝りながら小さくなって移動して行くのです。

列を短くするために詰めて並ぶ。買い物客が通行しやすいようにひとり分空けて並ぶ。どちらがスーパーの〝社会平和〟に繋がるのでしょうか・・・。

2020/04/17

見守りのスカイツリー

先日、あるファストフード店でテイクアウトをした時の事です。注文の品を伝えると、顔だけは小ぎれいに化粧した10代と思しきお嬢さんが言いました。「ご注文は〇〇で〝宜しかった〟でしょうか?」「・・・」。あれぇ、なんか変な感じがします。別の場所で商品の取り置きをお願いしたところ、これも上品なフリをした中年女性が言いました。「こちらに〝お名前様〟をご記入下さいませ」「・・・」。ヤダァ、やっぱり変です。〝宜しかった〟はレッキとした過去形です。確かに注文は時制的には〝過去〟ですが、本人は丁寧語のつもりのようです。こんな使い方は少し前から、よく耳にする言い回しですね。単に、「~で宜しいでしょうか」で十分なのです。オバサマの方の〝お名前様〟には、なんだか〝お犬様〟になったような気分になりました。〝名前〟に〝様〟はつけないで~と言ってしまいそうになります。どちらも丁寧語とは言えないでしょう。どこで間違えてしまったのか・・・。

最後に寄ったスーパーマーケットのレジにいた外国人アルバイトのお姉さんが言いました。「レジ袋は如何なさいますか?」「いいえ、結構です」。そうよねぇ、こう来なくては。

マニュアル作成の担当者は、正しい日本語をマニュアルに載せて欲しいですね。そうではなくて、マニュアルが正しくなくても気づかない日本人が増えた、という事だとしたら・・・。小学生に英語を教える前に、ちゃんとした国語教育が先なのではないかと、ゴマメが歯ぎしりしている今日この頃なのです。

2020/03/01

世間の騒ぎを素知らぬ顔で、太平楽に浮かんでいる、カ・エ・ル・・・。

今、世間を騒がせている「コロナウィルス」。予防手段としてのマスクが各所で品薄になっていることは、皆さんご存知の通りなのですが・・・。そしてマスクよりもより予防効果が大きいのは、手洗いであることもご承知のことと思います。それなのに、薬局やスーパーからマスクが消えて数週間になりますね。特にマスクを求めようとは思っていないのですが、これほど品薄になってくると、数十年前のオイルショック時に起こった「トイレットペーパー騒動」を思い出してしまいました。某国では、マスクをしていないからと電信柱に縛り付けられる人間も出てくるほどの大騒動になっています。勿論、足元から火が燃えてくるような地域で生活しなければならない人たちやダイヤモンド・プリンセスの乗客の方々は本当にお気の毒な事と思います。が、余りに過剰な反応を示すのは慎みたいですね。一人・二人がやっていることなら然程気にならないのに、それが多数になると途端に同じ方向に進まずにはいられない「集団心理」には気をつけたいものです。日本人のステレオタイプには多数の行動・意見に従いやすい、〝数に頼む〟というようなものがあるのでしょうか。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」的行動は、昔からあったように思います。数の多少によってではなく、何が正解なのかを自分で判断して、選び取りたいですね。と言いつつ、CMの甘言についつい購入を考えてしまう筆者なのです・・・。

2020/02/22

氷の刃

本栖湖から見る「富士山を撮りたい!」ずっとそう思って過ごした数週間。行く度に富士山は雲の中でした。やっとその機会到来で、ろくに天気予報も見ずに出かけたこの日…。この冬一番の寒気団襲来と重なってしまったのです。本栖湖到着は、深夜2時。これまで、午後に着いては富士山に逃げられる経験から、早朝なら大丈夫だろうとの判断だったのですが・・・。

昨年暮れに手にしたコンパクトデジカメを携えて、明け方の富士山を撮影すべく出かけたのです。本栖湖到着時の車外温度はマイナス4度。夜明け前、湖畔の気温はおそらくマイナス10度くらいになっていたでしょう。それに加えて時折吹きすぎて行く風は冷たく、体感温度はそれ以下だったと思います。さながら〝冷凍庫に入れられたお肉〟のような状況で、手袋を通して染み込む寒気は指先をかじかませ、足先は痛み、録音機材も凍り付く始末でした。カメラも影響を受けて、撮影データの半分を消失….。

ヘッダーの写真はそんな中で撮影した一枚です。

「イチから始めるデジタルカメラ」。ハウツー本のタイトルみたいな現在の私ですが、システムエンジニアにイチから教わりながらの撮影です。早くもう少し上手に撮れるようになりたいなぁ・・・。

2020/02/08

くつろぎの日向ぼっこ

バレンタインデーが過ぎれば、半月で〝ひな祭り〟。「走るより早い時の流れ」は、柳ジョージさん作詞の「時は流れて」の一節ですが、走るより早い時の流れに負けないように、日々、文章を書き、ウェブサイト用のアセットを作り、ロケにも行っております。

そうそう、昨年末、遂にデジタルカメラを手に入れました。父親の形見であるツアイス・イコンのコンタックスを修理して、と思っていたのですが、やっぱり自分の手で現像できないフィルムカメラより、デジタルカメラで撮影してみたいと思ったのが、購入に踏み切る動機になりました。

最近のデジカメ、コンパクトカメラでもなんと機能の優れていることでしょう。カラーなのに目だけは白黒させながら、それでも楽しんで撮影をしております。

いつの日か、自分で撮影した写真をご紹介できる事があるかも知れません。その時が早く来るように勉強しているこの頃です。

2020/01/31