Mini Monolugeのページ

Mini Monologue

Mini Monologueのバックナンバーをまとめました。過去の記事をこちらでお読み頂けます。メールを保存しておかなくても、もう大丈夫です!。

吉川英治作品を初めて読みました。勿論、昭和を代表する大作家である事は十分承知しておりましたが、この年齢になるまで何故か読んでいなかったのです。吉川英治という文壇に対して近寄りがたい、というか、何かはっきりはしないながらも意識しない先入観のようなものもあったのかも知れません。それが突然のようにこの大作を読むきっかけとなったのがひとえに〝経済的理由〟であったのには、我ながら苦笑せざるを得ませんが。

永らく愛用している電子ブック端末に、ふと「新・平家物語」全16巻プラス「新平家落穂集~筆間茶話~」合本がなんと99円!!、というのを見つけたのです。これには惹かれました。いずれは「古典平家物語」を、と思いつつもその機会を掴み得ないでいたので「新平家」は〝小説〟ではありますが、「古典平家物語」(以下「平家物語」)への前段階的に読んでみるのも良しとして購入したのです。なにせたったの99円で16巻全てを読めるなんて、こんなにおトクなことはありませんから。

「平家物語」と言えばすぐ思い出されるのが、〝祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり〟で知られるあの有名な書き出しでしょう。栄枯盛衰の人の世の〝あわれ〟と、仏教観(無常観)が全編の底辺を貫いています。

「新・平家物語」にしてもその〝あわれ〟が全編の根幹となっているのは同様ですが、小説であるぶん、氏の考察・想像と創作が、その〝あわれ〟と見事にあざなわれていました。そしてまた、諸行無常の理りのもと、人間というものが持たざるを得ない業(ごう)やその業に引き据えられてゆく生き様への憐憫・愛惜の情と言えるものも基底にあると思います。そして人間の繰り返す宿業に対する哀しみもあるでしょう。同時代人の鴨長明「方丈記」中の〝昔ありし家はまれなり。或いは、去年焼けて今年作れり〟とある如く、とにかくこのころの都(京都)は一再ならず戦火に焼かれていたのです。それを目の当たりに見ていた鴨長明にしても、その見聞は歴史全体の経過の内では、ほんのひとコマでしかない。たった数十年前にも人間はその〝戦火〟を見ているのです。なんという恐ろしい繰り返しでしょうか。氏はこのことを「人間愚」と言い、「〝祇園精舎の鐘の声〟は人間のばかさへの警鐘」とも言っています。その氏の心は、いきおい〝愚を犯す人間〟へのあわれをもよおすのでしょう。「新・平家物語」に登場する人物には、真の悪人という人間は現れないのです。どこかに稚戯を感じ、同情を寄せた描き方をしています。歴史の中での事象は、すべて何らかの形で決着がついているものです。その中の〝悪〟を人として見るのをあわれとし、その根源となるべき本当の悪は、今なお持続して、その根を絶やさずにいるのではないだろうか、氏の想いはどうもそのようにあると思えます。つまり清盛であれ義仲であれ「平家物語」で極悪非道の権化のように書かれている人間たちを、もっと大所・高所から俯瞰しているかの如くです。歴史中の事象が決着しているからこそ、そのような俯瞰が可能にもなるのでしょうがこれはある意味、氏が持っておられる慈悲心と言えるものではないかと思うのです。そして忘れてならないのは「平家物語」は鎌倉時代に成立しているということ。作者は諸説あって正確には不明ですが(信濃前司行長という説が有力)、成立時期からしても勝者が書いた物語であるということです。勝者が敗者を描くとき自ずと表れる心を、氏は自らの心に照らしてのち、書いておられるということなのです。

それにしても「平家物語」というテーマは、日本人にとって心に深く根ざすもの・日本人のDNA に刷り込まれた無意識的意識ともいうべきものを持っていると思われてなりません。今でも残っている言い方の「判官びいき」や「都落ち」は、九郎判官義経に対する人々の同情の心であり、義仲に敗れて都を去る平家人のことなのですから。

それにしても人間に負わされた〝業〟というものの、いかに根深く取り去り難いものであるのでしょう。いっときの安らぎに満ちたようなラストシーンの平安すらも、永遠のものではない〝無常〟を込めたものの一面であるに過ぎないのだと思いつつ、満足のうちに読了しました。

2021/02/08

メジロは知っているのか?

「もみ手」というと皆さんはどんなことをイメージされるでしょうか。多分、ですが、一昔前の商人がお客様に対する場合の仕草、或いは、ゴマスリ社員が上司へ阿りをしている場面、へつらい・・・とか? ではないでしょうか。まぁこれは私のイメージなので、皆さんはまた別のシーンを思い浮かべる方々もおありかと思います。ですが、私にはどうしても〝ムカシの商人〟〝ゴマスリ社員〟(クレージーキャッツのサラリーマン映画の世界?、古い方にはお分かりでしょうが・・・)となってしまうのですが、これは人間が古いので致し方無いこととご了承のほど。  ところが !!。ここ数ヶ月、都民全員、いやおそらく日本国民全員がもみ手をするようになっているので、不謹慎とは分かっていながらその場面を目の当たりにするとつい、クスっと笑ってしまうのです。いや、これは本当に宜しくない事なのですが。

その〝場面〟とは、公共施設・デパート・レストラン・スーパーマーケットほか各種商業施設 etc. etc. ・・・。もうお分かりですね、そう、コロナウィルス感染防止対策として設置しているアルコールスプレイのある場所なのです。

そのような不特定多数の人間が集まる場所の出入り口には、アルコールスプレイが常設されているのは現在では当たり前の事になりました。そして出入りの際には、殆どの人々がスプレイを手に吹きかけ出入り口を通過して行きます。この辺り〝日本人って凄いなぁ〟と感心する事しきりですし、世界に対しても誇らしい思いにもなるのですが、例えばデパートの入り口で、全ての人が手に吹きかけたアルコールを両手を擦り合わせて塗布・乾燥しながら入り口を入る中に混じって一緒に通過していると、一斉に〝もみ手〟をしながら歩いているように見えてしまい、不謹慎ながらもクスッと笑ってしまう仕儀に至る、という訳なのです。

いえいえ、お怒りになることなかれ。これはもうイメージだけが先走りして善悪を超えて可笑しみを醸し出しているというわけで、決して茶化すつもりではありません。早くこの「with コロナ」が終焉の時を迎えることを心から願いつつ、感染防止対策を怠らない日本人に心から敬意を表している一人なのです。

2020/12/06

青木ヶ原にて

春日山にて

10月25日に奈良で「井上堯之三周忌~時は流れて~」のイベントを行いました。本来ならば5月の開催予定がこの状況下。10月の開催も危ぶまれておりましたが、既にご予約下さっている方々もいらっしゃるとのことで感染対策を十分考慮した上で無事、終わる事が出来ました。客席は収容人数の50%に制限されていましたし、まだまだ用心が必要だと言うこともあり、正直お客様の数としては・・・でしたが、皆さん全て顔馴染み。いつも来てくださるメンバーが揃った、という感じで、これはこれで和気あいあいの良いイベントとなりました。

>p>奈良、という場所は言うまでもなく長い歴史を持つところです。それだけに〝観光地〟と一言で言ってしまうのは、少々気後れするような、申し訳ないような気持ちになります。勿論観光地であることは確かなのですが、同じく古い歴史を持つ京都とはまた違う趣があり、とても好きな場所なのです。それは言ってしまえば一度〝都〟として遷都されながら長くは続かなかったことや、その歴史あるが故にどこか侘というか鄙びた感じを受けるせいで、華やかな京の都とは対極にあると感じるからかも知れません。ですが、奈良は過去には一大宗教都市として栄えた歴史があります。8世紀のほぼ9割が奈良に都(平城京)があった期間になります。そして南都六宗、いわゆる奈良仏教が栄えていたのです。まだ日本に仏教が伝来して150年ほどしか経っていない時期、仏教は日本人にとってまだ馴染みのない〝新興宗教〟だったでしょう。そしてその形もプロ仕様。庶民的なものではなく、僧侶は勢い専門的で教義を探求する学究集団でした。その後の平安時代に栄えた、大衆の味方、ではありません。折しも中国では唐の時代の真っ最中。平城京も唐の都を模した、ということです。遣唐使も奈良・平安時代を通じ、20回近く派遣されました。遣唐使として有名な空海や最澄が入唐したのは京に遷都された後でしたが、奈良時代には鑑真が数度にわたる渡航失敗の末、日本にやって来ています。東大寺の大仏建立も奈良時代。時代としては短いながら、その後の日本の仏教の基礎ができた大切な時代だったのです。

イベントの翌日、そんなこんなを想いながら春日山辺りを撮影して歩きました。奈良の鹿はフレンドリーです。駐車場に車を停めると近寄ってきて食べ物をねだります。鹿君はシカせんべいを貰えるかと思っていたのでしょうが、こちらが手にしているのは人間の餌のおにぎりしかありません。よぉく説得したのですが、車の横で粘ること粘ること。折角なので、鹿君にモデルになってもらってアップを撮影させてもらいました。暖かい陽射しに気持ち良さそうな鹿君・・・と思ったらツノが無い。鹿嬢でした。〝ミスターレディ〟で無い限り。ごめんね。

2020/11/22

日光中禅寺

冒頭にも書きましたが、奈良の正倉院展が現在会期中です。72回目となる今年はコロナ禍の中での開催ということで、全てが前売券で、しかも日時指定となっていますがそれでもこの稿を書いている今日、前売券は完売しており当日券は無し、という盛況ぶりです。1500年近い時を超えて、今尚確かに伝え続けられている文物を間近に見られる訳ですから当然といえば当然のことなのでしょう。遠く中東の地から遥々やってきた敷物や当時の武具など、興味は尽きません。

と、ここで日本の文化についてほんのちょっとだけ考えて見ました。「文化」と一括りに言っても正倉院御物のような古いものに限った事でないのは当然のことですね。時代によって新たに生まれた〝習慣〟が育って〝文化〟となったものもあるでしょうし、これから育ってゆくものも出てくるでしょう。では、それらが育って行くために必要なこととはどんな事なのでしょうか。

世界中の国々がどんどん近くなっている現在、人が使える時間は感覚的に短くなっているように思います。そんな中に居れば生活に必要なものを優先してしまう、という具合にならざるを得ないとは思います。が、本当に大切にしなければならないものと生活に必須なものは別モノなのだ、ということを忘れてはならないでしょう。生活に必須ではない物が、実は人間の心を潤すに不可欠な物だったりするのです。それらを如何に見出し、理解し、守っていく心の余裕があるかどうかで、文化が育つか枯れてしまうかの分かれ道となるのだと思います。文化が健全に育つということは、国が健全であることに繋がると思うのです。

ヨーロッパなどの古い歴史を持つ国々では、自国の文化を非常に大切にしていると感じます。それは自国の文化に対する深い理解があり、それが国民的レベルでそうなっているのです。為政者と国民との自国の文化に対する意識の高さと誇りを感じさせられます。

正倉院展などの特別展の時のみならず、文化というものは何ぞや、と改めて思う機会が増えれば良いかなぁと思う昨今です。

2020/11/01

コロナウィルスが世界を席巻し、その中でも真面目にマスク着用やソーシアル・ディスタンスを守り続けている日本でもまだまだ終息の時が見えない中で開始された「Go To Travel」。ひとり蚊帳の外だった東京でもやっと解禁された後にやって来たシルバーウィークも終わりました。渋滞の高速道路や観光客が〝どっと繰り出した〟各地のニュースを久しぶりに見た先日でした。

経済活性化を目指すという目的だったはずなのですが、普段から比較的リーズナブルな料金を提供している宿泊施設ではほとんどその恩恵は感じられず、高級ホテルや高級旅館に予約が集中しているなど、どうも彼方此方で思惑違いの状態があるようです。「この際〝普段は泊まれないような高級ホテル〟に宿泊しよう」、ということは人情としては解りますが余りにも露骨なような気がして、「庶民的な旅館、頑張れ!」と応援したい気持ちになってしまいます。

元々怠け者の私は、Go To Travel の利用方法が判りにくい、などと言う話を最初に聞いてしまったせいか、面倒な手続きに恐れをなし、ズボラを決め込んでいまだに利用方法を知りません。それに高級ホテルに泊まるなら、フトコロ具合がそれに耐えられる環境になっているときに利用したいと思う気持ちの方が強くて、積極的に調べる気持ちにもならないのでしょう。

スタート時点から判りにくいルールという話が出る、または、旅行業者が対応に右往左往するという状況が起こるのは、どう見ても準備不足の見切り発車的な感じが付きまといます。同じ宿泊業者の中で予約量に温度差が出てしまうのは気の毒な事だと思うのです。それも業者側の営業努力とは無関係な部分での話ならなおのこと、準備期間をとってルールを整備・徹底してからスタートして欲しかった思いが強くなり、いつか何処かに歪みが出ないかと余計な心配も心をよぎります。いや、もう出ているのかも知れないですね。
 そんな中でのGo To Travel 東京解禁。〝お得〟な部分にだけ目を奪われてしまうのは何だか宜しくない気がする今日この頃です。そこまでやるか?と言うような思いきった企画を考え出して、独自のサーヴィスを提供するところもある、などと言うニュースを見るとやっぱりそれも何だかヘンだな、と感じてしまうのは、私がヘンなのでしょうか・・・。

2020/09/25

見通しが悪い道

迷い道

お盆だから、という訳ではないのですが・・・。ふと思ってみたことです。

 長い道のりを西に向かう旅人が歩いていると、突然目の前に二つの河が出現する。南には火の河、北には水の河。二つの河幅は果てしない。その間にわずか幅が四〜五寸(12〜15センチ)ほどの一筋の白い道があるのみだ。白い道には南北から火と水が迫り、東へ引き返そうにも盗賊や恐ろしい獣が迫っている。逃げるためには白い道を通るしかないが、あまりにも細くて、心もとない。その時、東の岸からためらうことなくこの道を進めと声がする。と、西の岸からも躊躇わずにまっすぐに来れ、と叫ぶ声がする。この人は、東と西からの声に励まされ、脇目もふらずにその道を信じて進んだところ、間も無く西の岸に辿り着くことができたのだった。

 これは「選択本願念仏集」(法然上人・著)に収録されている喩えの一節です。お分かりのことと思いますが、火や水や盗賊や獣などは、人間の心に起こる怒りや貪りの心や憎しみを喩えたものです。貪りや怒りの心は盛んなので、水や火に喩えられるのですが、その中にもほんのすこしだけ、微かですが、真っ当な正しい心も存在しているとして喩えられるのが、この幅四〜五寸ほどの白い道なのです。しかし、火と水が荒れ狂う河の真ん中の、僅か四〜五寸ほどの道を行くには勇気と信念と覚悟が必要になるでしょう。それは、何かをする時、真っ当な正しい心を持ってすることはなかなか難しいものだ、ということをも伝えてくれているのです。なし難い事よりは、楽な方法を、また、自分の有利・不利を優先しようとしてしまうのが、私たちの正直な心なんだと思います。

 人の世にいつも存在する、避けては通れない争い事、迷う事、などなど。その中にあっても常に、通るには困難な〝白い道〟は存在しているのだと思います。通るには大変ですが、たとえ通れなかったとしても、〝白い道〟がある、ということを思って過ごしていきたいと考えた、今年のお盆でした。

 ですが・・・。難しい・・・のですよね、私のような凡人には。

2020/08/16

約2ヶ月にわたるSTAY HOME の期間には、これまで馴染んでいた日常が大きく変わってしまいました。やっと街中にも人々が戻り、〝新しいライフスタイル〟とか〝ソーシァル・ディスタンス〟という言葉も耳に馴染んで来た感じです。
 不要不急の外出自粛期間は、今まで当たり前のようにしていた様々なことが出来ないか、制限されるかの、行動を制約された毎日でした。
当たり前のように毎日行っていたスーパーマーケットへの買い物。
当たり前のように乗っていた電車やバス。
当たり前のように通っていたお勤め先。
当たり前のように繰り出していた夜の歓楽街。
これらの行動が制限されて、初めて当たり前が当たり前ではなくなった期間でした。
そこで・・・。
「当たり前」の反対語は、何だとお思いですか?。私は「ありがとう」だと思います。「ありがとう」は仏教語が語源になっています。六道輪廻の逃れ難い巨大な輪の中で、〝人間〟に生まれることは〝有り難い〟(起こり難い、なかなか成り難いことだ)というのが本来の意味でした。夫婦だから養ってもらって当たり前、親子だから、友人だから・・・。毎日のほんの些細な事でも、何気ない事でも「当たり前」のことなどは無いのだ、と思います。いかに普段、何の制約もされていなかった事を当たり前のことだ、と感じていたか、それは単なる勘違いだったと思い当たります。
 東京アラートが完全に解除された後、自粛の間に比べて新型コロナウィルス感染者が増加してきました。数字に拘るつもりはありませんが、一部の業種での増加が目立ってきています。当たり前にしてきたことが一度制約を受け、その後、従来に戻ったわけですが、制約を受けている間に何を考えていたのでしょう。ただただ、不満をかこっているだけだったとしたら、なんと勿体無い事かと思います。
 世の中には当たり前のことなどは無いということ、近しい間であればあるだけ、何でもないような事であればあるだけ、つい忘れてしまいがちな「ありがとう」という感謝の気持ちを時々は思い出してみたいものだと思います。

2020/07/02

ありがとう

美しき侵略者?

メンバーズ・ルーム「読む」に掲載している駄文「My Monologue」の「ハルジオン」の稿で少し触れましたが、日本の植物分類学の基礎を築き、その発展に多大な貢献をしたのが牧野富太郎博士です。生まれは江戸時代(1862年)、94歳の長寿を全うした牧野博士がその生涯に於いて発見・命名した植物は悠に2000種を越えると言われています。拙稿「ハルジオン」でも紹介した「雑草という名の植物は無い」「私は植物の愛人」という名言のとおり植物へ深い愛情を注ぎ尽くし、研究の為には周囲をも顧みず、その為に誤解を受けることも多かった生涯だったようです。あの〝イヌノフグリ〟の名付け親でもあります。

 私がまだ小学生だった頃、父が所有していた「牧野日本植物圖鑑」を見るのが大好きでした。この図鑑は牧野博士が写生した画で全てが構成されています。当時ですら図鑑といえば殆どがもう写真図鑑でしたのでそれだけでも目を引くものなのに、その植物画の精密で素晴らしいこと。調べてみたところ、発行は大正15年という事が判明しました。復刻版も出版されていますが本としては大変高価。私に○があれば(牧野博士風表現)、神田あたりの古書店を軒並み歩いてでも入手したいところです。当時の図鑑なので解説文は全て旧字体。私にとっては図鑑というより植物画集のようなのものでした。

 牧野博士は小学校しか出ておられませんが、理学博士の肩書を持ち長年にわたって東京大学の教室には無くてならない存在でした。最近になって牧野博士の随筆を電子ブックから何冊かダウンロードしました。パブリックドメインの為、0円!。牧野博士の自由闊達な随筆を読む楽しみが得られた嬉しさで、今回は牧野富太郎博士について書かせて頂きました。

2020/05/07

自由というもの、個人主義というものを間違えて身につけてしまったとしか思えないような人たちの増殖にウンザリしていた今日この頃ですが、いやいや日本人、満更捨てたもんじゃないと思える光景に出会いました。

つい先日、不要不急の外出をつとに控えなければならないこの時期に、どうしても芝・増上寺の近くまで出向かなければならない用件ができました。最寄りの駅までは地下鉄ばかり、二度の乗り換えがあります。マスクは勿論、バッグには携帯用のアルコールスプレイを忍ばせ、いざ地下鉄へ。本来なら駅にはまだ通勤ラッシュの名残が残っているはずの時間帯ですが、そのわりには比較的空いていました。車両に乗った瞬間、違和感を感じました。〝空き方〟が何だか変なのです。座席の状態が違和感の原因でした。座席には律儀にきちんと一人分ずつ間隔を空けて乗客が座っています。その余裕のない車両では座らずに立っているのです。一人分ずつ空いている空間が妙な違和感になって伝わって来たのでした。(へぇぇ、結構やるじゃないの。日本人、偉い!)真面目にそう思いました。私のように電車に乗ることが滅多にない者にとっては新鮮な感動だったのです。以前のメルマガで、スーパーのレジ行列について触れましたが、今では否応なく床に貼ってある線の通りに並ばせられています。お陰でレジと商品棚の間もスイスイ通行できます。ここでも買い物客は黙って線のところで、前にも詰めずに大人しく並んでいるのです。この線はいっそのことずっと残しておいて欲しいと思いながら(やれば出来るじゃないの)ここでもそう思いました。海外メディアが日本の感染率の低さを驚異的だと言っているのも納得です。ところが・・・。居ました、居ました、自由・個人主義を間違えたままの人たちが。開店しているパチンコ屋に並んでいる輩。インタビューにも平然と「自分は若いし」とか「家に居てもすることないし」と、ほざいていらっしゃる方々。(アンタが感染するのは自由だけど、その先を考えられないの?)

責任の伴わない〝自由〟はありません。自由とは本来厳しいものです。自分の頭で考えて、判断して、決定し、行動した結果には責任を持たねばならないのですから大変です。開店しているパチンコ屋も、砂糖にたかる蟻のごとく並んでいる客にも呆れる他ありません。何をか言わんや。

今、医療現場で起こっていることを思う時、一握りの人たちからの影響が〝蟻の一穴〟にならないように、と祈るばかりの昨今です。

2020/05/02

都会に花咲くベニズオウ

湖上に現る!?

時事の話題として、どうしても〝マスク〟の話になってしまいます。やっとマスクパニックも目立たなくなりましたが、まだまだ需給バランスは回復していないようです。そもそもマスクというものはいつ頃から使われ始めたのでしょうか。その歴史は明治初期に遡ります。当初は疾病予防の為ではなく粉塵よけに利用されたというだけあって、真ちゅうの金網を芯にして布を取り付けたという、頑丈な作りだったようです。かけ心地は良くなかったことでしょう。それが1918年に世界中で大流行したインフルエンザ、通称〝スペイン風邪〟をきっかけとして、初めて予防品として使用されるようになりました。昭和になって、再びインフルエンザの大流行でマスクの需要は拡大し、その後、インフルエンザが流行るたびにマスクの出荷は増大して行きます。その流れでいくと、今回のマスクパニックはその最たるもの、ということになるでしょう。ガーゼマスクの登場は1950年。現在の一般的な不織布にプリーツ加工をしたマスクは、1973年から販売されたそうです。花粉症が目立つようになる1980年代からは、防疫の為ではなく花粉を防ぐという新たな用途が生まれました。それからもマスクの改良は進み、立体マスクの登場などで一般家庭で使用されるマスクはますます普及が促進されました。

さて先日、異様な姿の女性を見掛けました。よほど探してもマスクが入手出来なかったのでしょう。ロングストールを頭から被りそれを首に一巻きして、余った両はしで鼻から下を左右から覆って後ろで結んでいたのです。それにサングラス。まるで月光仮面が〝マチコ巻き〟をしたような姿でした。花粉症か予防かで、どうしてもマスクが必要だったに違いありません。彼女にしてみれば苦肉の策、だったのでしょう。

そんな時には是非、手ぬぐいを。切って四周を縫ってゴムを通すだけです。間違ってもそのまま頭から被って鼻の下で結ばないで下さい。夜中、断りなしに家に入ってくるお客さんと間違われても当方は一切の責任は負いません・・・。 

(マスクの歴史については、一般社団法人 日本衛生材料工業連合会のウェブサイトを参考にしております)

2020/04/25

富士山は見ている

前回はマスクのお話をしました。その後、トイレットペーパーとティッシュペーパーが店頭から姿を消し、70年代初めにオイルショックが引き金となったトイレットペーパー買い占め騒動を彷彿とさせる状況となりました。スーパーのレジには、個数制限されたトイレットペーパーを大事そうに抱えた買い物客の行列が出現する事態が発生しておりました。

今回の非常事態宣言で一時、納豆や牛乳・乾麺などのインスタント食品がスーパーの棚から消失しました。また意味不明な買い占めか!、と嫌な予感がしましたが、物資は充分な在庫があるという告知が功を奏したのか、幸いにもスーパーマーケットでは現在も平和が続いています。

レジ前の行列はこれに限ったことではなくても良く見かける状態です。私が気になるのはその列の並び方、なのです。レジから長く伸びた列は商品陳列棚まで延びています。今の時期〝ソーシアル・ディスタンス〟などと言って列に並ぶ時、詰めて並ぶのを避ける事が求められています。が、平時はレジと商品棚との間にもぎっしり詰めて並ばれるので、ちょっと困るのです。

買物客みんなが皆んな、入口を入って順路通りに進む、とは限りません。美術館ではないのですから。買物途中でも目的の棚に向かうのにレジと棚の間を通ることもあるわけです。急いでいる時は最短距離を取りますから特にそうなります。その度にカゴを持ったまま小さくなって通過しなければなりません。どうして人ひとり通れるだけのスキマを作って並ばないのでしょう。不思議です。列が不要に長くなるのを避けるためでしょうか。ひとり分空けたとしても然程、不都合はないように思うのは私だけなのでしょうか。

私がスキマを開けて並んでいる。順番が来て前に詰める。すると後ろに並んでいた人は当然のように私について進み、スキマを埋めてしまう。と、そこを通る人は「すみません、すみません」と謝りながら小さくなって移動して行くのです。

列を短くするために詰めて並ぶ。買い物客が通行しやすいようにひとり分空けて並ぶ。どちらがスーパーの〝社会平和〟に繋がるのでしょうか・・・。

2020/04/18

見守りのスカイツリー

先日、あるファストフード店でテイクアウトをした時の事です。注文の品を伝えると、顔だけは小ぎれいに化粧した10代と思しきお嬢さんが言いました。「ご注文は〇〇で〝宜しかった〟でしょうか?」「・・・」。あれぇ、なんか変な感じがします。別の場所で商品の取り置きをお願いしたところ、これも上品なフリをした中年女性が言いました。「こちらに〝お名前様〟をご記入下さいませ」「・・・」。ヤダァ、やっぱり変です。〝宜しかった〟はレッキとした過去形です。確かに注文は時制的には〝過去〟ですが、本人は丁寧語のつもりのようです。こんな使い方は少し前から、よく耳にする言い回しですね。単に、「~で宜しいでしょうか」で十分なのです。オバサマの方の〝お名前様〟には、なんだか〝お犬様〟になったような気分になりました。〝名前〟に〝様〟はつけないで~と言ってしまいそうになります。どちらも丁寧語とは言えないでしょう。どこで間違えてしまったのか・・・。

最後に寄ったスーパーマーケットのレジにいた外国人アルバイトのお姉さんが言いました。「レジ袋は如何なさいますか?」「いいえ、結構です」。そうよねぇ、こう来なくては。

マニュアル作成の担当者は、正しい日本語をマニュアルに載せて欲しいですね。そうではなくて、マニュアルが正しくなくても気づかない日本人が増えた、という事だとしたら・・・。小学生に英語を教える前に、ちゃんとした国語教育が先なのではないかと、ゴマメが歯ぎしりしている今日この頃なのです。

2020/03/01

世間の騒ぎを素知らぬ顔で、太平楽に浮かんでいる、カ・エ・ル・・・。

今、世間を騒がせている「コロナウィルス」。予防手段としてのマスクが各所で品薄になっていることは、皆さんご存知の通りなのですが・・・。そしてマスクよりもより予防効果が大きいのは、手洗いであることもご承知のことと思います。それなのに、薬局やスーパーからマスクが消えて数週間になりますね。特にマスクを求めようとは思っていないのですが、これほど品薄になってくると、数十年前のオイルショック時に起こった「トイレットペーパー騒動」を思い出してしまいました。某国では、マスクをしていないからと電信柱に縛り付けられる人間も出てくるほどの大騒動になっています。勿論、足元から火が燃えてくるような地域で生活しなければならない人たちやダイヤモンド・プリンセスの乗客の方々は本当にお気の毒な事と思います。が、余りに過剰な反応を示すのは慎みたいですね。一人・二人がやっていることなら然程気にならないのに、それが多数になると途端に同じ方向に進まずにはいられない「集団心理」には気をつけたいものです。日本人のステレオタイプには多数の行動・意見に従いやすい、〝数に頼む〟というようなものがあるのでしょうか。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」的行動は、昔からあったように思います。数の多少によってではなく、何が正解なのかを自分で判断して、選び取りたいですね。と言いつつ、CMの甘言についつい購入を考えてしまう筆者なのです・・・。

2020/02/23

氷の刃

本栖湖から見る「富士山を撮りたい!」ずっとそう思って過ごした数週間。行く度に富士山は雲の中でした。やっとその機会到来で、ろくに天気予報も見ずに出かけたこの日…。この冬一番の寒気団襲来と重なってしまったのです。本栖湖到着は、深夜2時。これまで、午後に着いては富士山に逃げられる経験から、早朝なら大丈夫だろうとの判断だったのですが・・・。

昨年暮れに手にしたコンパクトデジカメを携えて、明け方の富士山を撮影すべく出かけたのです。本栖湖到着時の車外温度はマイナス4度。夜明け前、湖畔の気温はおそらくマイナス10度くらいになっていたでしょう。それに加えて時折吹きすぎて行く風は冷たく、体感温度はそれ以下だったと思います。さながら〝冷凍庫に入れられたお肉〟のような状況で、手袋を通して染み込む寒気は指先をかじかませ、足先は痛み、録音機材も凍り付く始末でした。カメラも影響を受けて、撮影データの半分を消失….。

ヘッダーの写真はそんな中で撮影した一枚です。

「イチから始めるデジタルカメラ」。ハウツー本のタイトルみたいな現在の私ですが、システムエンジニアにイチから教わりながらの撮影です。早くもう少し上手に撮れるようになりたいなぁ・・・。

2020/02/09

くつろぎの日向ぼっこ

バレンタインデーが過ぎれば、半月で〝ひな祭り〟。「走るより早い時の流れ」は、柳ジョージさん作詞の「時は流れて」の一節ですが、走るより早い時の流れに負けないように、日々、文章を書き、ウェブサイト用のアセットを作り、ロケにも行っております。

そうそう、昨年末、遂にデジタルカメラを手に入れました。父親の形見であるツアイス・イコンのコンタックスを修理して、と思っていたのですが、やっぱり自分の手で現像できないフィルムカメラより、デジタルカメラで撮影してみたいと思ったのが、購入に踏み切る動機になりました。

最近のデジカメ、コンパクトカメラでもなんと機能の優れていることでしょう。カラーなのに目だけは白黒させながら、それでも楽しんで撮影をしております。

いつの日か、自分で撮影した写真をご紹介できる事があるかも知れません。その時が早く来るように勉強しているこの頃です。

2020/02/01