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更新日: 2021/07/02

「教える」と言うこと

「教える」と言うことの写真

「真の良師とは弟子に何物かを教える者では無い、弟子をして弟子自身に巡り合わせる者である」(ソクラテス)


井上堯之は「教える」ということが下手である、と私はずっと信じてきた。ところが、今になってそれがとんでもない間違いであった事を理解したのである。その顛末はこうなのだ。

長嶋茂雄氏のエピソードから始めることにしよう。「長嶋さん、どうやったらあんなホームランやヒットが打てるんですか」と聞かれ、「こうやって構えるだろう?、ボールがばぁーっと来るだろ、そしたらナ、カーン!、と打ちゃいいんだよ」。素晴らしい答えである。長嶋氏と比較するのは氏に失礼だと思うが、井上堯之がもしその種の質問を受けた場合も、同様な答えしか返ってこないのである。

ある時、ギター青年が質問した。「僕、今度ライブでソロを弾くんですが、カッコいいフレーズ、教えて下さい!」。彼は、当然、こう期待しただろう。瞬く間に井上の〝泣き〟のギターフレーズが目の前に繰り広げられる様子を。その時井上はギターを横に置き、足を組み直して静かに言ったものだ。「君の考える〝カッコいい〟というのは、どんな事?」。彼は目を白黒させ、しどろもどろになってしまった。彼にとっては全く予想外の切り返しだったろう。「こう構えるだろう?、思った通りに弾きゃいいんだよ」と言われなかっただけマシだったかも知れないが。

井上にしてみれば、彼が弾く曲自体を知らないのだから、いきなりカッコイイフレーズと言われても、弾きようがなかったのは確かである。だが、そんな現実的な理由ではなかったのだ。これはもしかしたら井上自身、気づいていなかったことかも知れないのだが、これこそ、彼に彼自身と向き合って、自身の心に巡り合わせるための言葉、教え方だったのだと思う。

ギターをどう弾くか、ヒットをどう打つかと、人生をどう生きるか、は大胆に四捨五入してしまえば、さしたる隔たりは無いだろう。人というものは、何をするにせよ、自身が知っていること理解していること以上の行動は出来ないのであるのだから。「人生はその人の理解力と洞察力に比例する」とは、井上がよく口にしていた言葉である。人はその人生の経験値によって学習し、加速度をつけてその類型を推測して行き、類型を含めた様々を理解することによって経験値の幅を広げていく。行動の基準がその人の経験値であるとすれば、理解していること以上の行動が出来るわけがないのだ。もし、自分でも信じられないような行動ができたとしても、それまでの知識や何らかの蓄積が無意識下に働いて、そのような行動を起こさせたということであろう。

兎に角、一般的な教え方という点で言うならば、表面的には井上の教え方は初心者には優しく無い、といえそうである。が、冒頭のソクラテスの言葉に照らしてみる時、井上のとる方法は、良師と言えそうでもある。少々、褒め過ぎかな。

私自身、過去に10年間ほどバスケットボールの指導をしていたことがある。相手は、人間形成の最も大切な時期にある小学生。ことはドリブルやパスの技術的な指導だけでは済まなかったのであった。ものを教える、と言うことは難しいことだと思う。何を教えるか、はもちろん大事なことであるが、〝何〟とは何なのか、物なのか、心なのか。また、その〝何〟のどこに基準を置いてどう教えるか、がより大切だと思うのである。あるいは、どの部分を教えるか、と言い換えても良いかも知れない。勢い、バスケットボールの技術とともに、練習態度やチームとしての〝仲間〟との関わり方に触れることが多かったのであった。その時代にもっと私の経験値が高かったなら、もう少しまともなコーチになっていたかも知れない。

井上堯之にカッコイイフレーズを聞いたギター青年は、彼の期待したフレーズは遂にその夜は得られなかったが、もしかしたら、彼は彼自身に巡り合う機会を得られたのかも知れない。とすれば、井上堯之はその意味で、良師、であった事になる。

かく言う私自身にとっても、井上堯之は紛れもなく〝良師〟であったのである。

初稿: 2020/02/22

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