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更新日: 2021/06/29

Tシャツ オレンジのはなし

Tシャツ オレンジのはなしの写真

色彩としてのオレンジは、和名では〝だいだい色〟。果物のオレンジが現在のように大量に輸入されるようになるまでは、橙と同じ柑橘系の〝みかんの色〟でした。子どもの頃、〝みかん色〟という言葉を聞いたような覚えもあります。橙はそのまま生食されることには向かない果物で、汁を絞ってポン酢に加えたりマーマレードなど加工された形で良く目にしますが、橙そのものはお正月の(高級な?)玄関飾りに、縁起物の一つとしてあしらわれています。橙(だいだい)が〝代々〟に繋がる、ということですね。オレンジが一年を通して、どこでも簡単に手に入る今では、色彩としての呼び名も〝だいだい色〟から〝オレンジ色〟に定着したのは自然の事だったのでしょう。

またオレンジ色には気持ちを落ち着かせる効果があるとの事で、ホテルのロビーやリラクゼーション・ルームの間接照明などに使用されることが多いのも頷ける話です。〝色温度〟という言葉がありますが、オレンジ色は柔らかな暖かい温度を感じさせる色ですね。

蛍光灯を買いに行くと昼光色・電球色の2種類がありますが、個人的には蛍光灯の電球色は使用していません。しかし、蛍光灯ではなく〝ホンモノ〟の電球の色、というものは好きです。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の舞台となった昭和33年、まさにこの頃のイメージがあり、幼かった頃の思い出とともにノスタルジーを感じる色なのです。東京タワーが完成した年でもあり、高度成長期が始まる中で〝なべ底不況〟と言われた年。そして一気に〝岩戸景気〟と呼ばれた数年を経て東京オリンピックが開催されたのが昭和39年。思い出してみれば、私の人生の中で最も幸せだった時代なのかも知れません。何しろ全て親掛りの子ども時代であり、〝自分の事だけ〟していれば良かった訳ですから。

中島みゆきさんに「5才の頃」と言う楽曲があります。その中に『時は流れ過ぎて 大人になって 涙流しながら 泣けなくなった 思い出してみたら 悲しくなって 泣きだそうとしても 泣き顔がない』と言う一節があります。私の〝5才の頃〟がこの昭和30年代のどこに当たるのかは敢えてヒミツといたしますが、子どもの頃の涙というものは透明で純粋で綺麗だなぁと思うのです。大人になった今でももちろん涙を流すことはありますが、子どもの頃の涙とは全く違う涙、なんですね。流れる涙に様々な色が付いていると言う感じです。本当に純粋な〝泣き顔がない〟のです。もう一度、5才の頃のような涙を流したいと思ってもそれは不可能なことなので、そのような事も関係して子ども時代というものを尚更懐かしく思い出すのかも知れません。

人には「記憶する」機能と共に「忘れる」という機能が備わっています。諸事、物忘れが起こってくるこの頃では「忘れる」機能はイラナイ、と思うのですが、これが無いと困ったことになるのです。人は忘れる機能があるからこそ、悲しい事も段々と〝忘れて(薄れて)〟行くのだと思うからです。反面、楽しい事だって〝忘れる〟のです。(だから〝飽きて〟しまうのですね)幼かった頃の思い出が懐かしいのは、楽しい事>悲しかった事、の関係があるのかも知れません。幼い者の悲しみというのは、特殊な経験でもない限り些細なことが多いから、ではないかと考えるのです。そして時が経って大人になると、悲しみも精神的・社会的な経験値の蓄積のために複雑化してくるのです。だから〝ただ単純に悲しい〟透明な涙にはならないのではないか、と思えてしまうのです。

話が逸れてしまいましたが、井上堯之の楽曲である「トオルちゃん」も、イメージは昭和30年代だと思います。薄暗くなってきた夕方、家々の玄関や電柱にポッと灯った電球の色、が作詞動機だからです。空き地で遊んでいた子ども達は「ご飯よ」と迎えにきた母親と一緒に次々と家路につきます。お母さんが仕事に出ているトオルちゃんだけが空き地にひとりぼっち。やがて仕事帰りのお母さんが迎えに来ます。大人になった〝トオルちゃん〟は、一人ぼっちで居た時の寂しさよりも、お母さんが迎えにきてくれた時の嬉しさの方をきっと懐かしく思い出しているでは?、と想像しています。

色としてのオレンジで言えば、車が緊急事態で路肩に停止するときに出すハザードランプもオレンジ色です。車線変更などの場合で道を譲ってくれたお礼にハザードランプを出すようになってから随分経ちます。地域によって意味合いが違うような話も耳にしていますので、全国的な話にはならないかも知れませんが、そんな時のハザードランプは〝サンキューハザード〟と言われているようです。しかし、です!。この習慣に私はいつも違和感を感じているのです。

そもそも「ハザード(hazard)」とは〝危険〟を意味する言葉なので、高速道路での渋滞最後尾で使用したり、何らかの事情で路肩停止しなければならない場合に使用するもののはず・・・。

それが、「ありがとう」の挨拶として使われるようになったのは諸説あるようです。

エアーブレーキを使用している大型車(トラックやバスなど)は、エアーブレーキを掛けてもブレーキランプが点灯しないから、とか、ヨーロッパ諸国で行われていた習慣が日本に伝わったとか、元々はトラック同士の意思疎通のためのものだったとか・・・。

何れにしても車同士のコミュニケーションツールとしてここまで定着してしまうと、道を譲って貰った場合には「お礼」しておかないといけないかな、と思うようになります。しないとなんか自分は無礼なヤツ、みたいな気持ちにもなります。なのでちょっと無理して譲って貰った時などにはチカチカさせますが、その度に「なんか違うよね~」と思いながらボタンを押している私、なのです。だったらいっそのこと、後ろの窓に「ありがとうございました!」と文字が出るような装置を作ればいいのに!!。

初稿: 2020/03/16

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