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更新日: 2021/07/02

アルバイト

アルバイトの写真

昨年(2019年)6月半ばから数十年ぶりにアルバイトを始めた。経済的という、ある事情から意を決してハローワークの門を潜ったのである。数十年前にさる会社を退社した折、失業保険の申請をする為にここを訪れた時には暗くて、陰気で、如何にも〝職安〟といった雰囲気であったのが全く見違えるように近代的な室内に変貌していた。何台も並んだパソコン。その一つ一つに、前屈みになった人が漏れ無く張り付いている。申込書に記入し、自分の番号が呼び出されるのも正面に据えられた大きなスクリーンからだ。そんな妙に明るい〝職安〟から、現在の勤務先が決まったのだった。

職場は通勤時間短縮と体力の消耗を避けるために、自宅から徒歩7分の場所。職種は介護と送迎ドライバー。つまり介護施設でのアルバイトである。介護士の資格は数年前に取得してはいたものの、現場での勤務は初めてのこと。週に2日、朝9時から夕方6時までの勤務である。最初の2日間はスタッフとも利用者とも〝初めまして〟の雰囲気で、バイトもなかなか楽しいものだと思ったものだが、翌週からそれはとんでもない間違いだった事が判明した。つまり、最初の2日間は私はまだ〝客分〟扱いだったのである。翌週から本格的な介護指導が始まった。実際に生身の人間相手に介護をするのは何分にも初体験。実母が寝たきりになった時に看護士がするのを見よう見まねで手伝ったくらいの経験は、とてものこと役に立つものではない。この職場はリハビリが中心なので要介護度の高い利用者は居ない。しかし、転倒などの危険は常に存在している。入浴介助の際、2度ほど浴室内の手伝いをした。その後はずっと脱衣所での衣服着脱のお手伝いのみ。これは使い物にならん、と見切りを付けられたのだろう。

その合間を縫って、利用者送迎のルートも覚えなければならない。利用者の住まいの前までの送り迎えなのでタクシー並みだ。〝リハビリ施設〟区分の為、ドライバーに補助職員は付かない。2週間後には一人で送迎が出来るようになっていなければならないので、道を覚えるのにこれまた難渋した。自慢ではないが私は子どもの頃から道順を覚える、という事が非常に苦手なのだ。きっと生まれる時に体内のGPS機能が不完全なままだったのだと思う。因みに送迎車には個人情報保護のため、カーナビは付いていないのである。

人間関係を築いて行くまでにいく日かかっただろうか。週2日では、時間がかかるのも止むを得ないことだったかもしれない。やっと昨年11月頃から職場に居場所を見つけられたような思いになれたのだ。

それは体操のリードをするようになってからのこと。体操自体は、過去にバスケットボールの指導をしていた事とジムに通っていた頃の知識でなんとかこなせる。問題は体操を始める前に利用者の前で5分から10分話をすることである。毎回、「今日はなんの日?」という雑誌のコラムを紹介することになっているが、これがあまり面白くない話題ばかり。そこで、「今日はなんの日?」はサラっと済まし、日常使っている言葉で仏教の言葉が語源となっているものを紹介したり、卒塔婆の縁のギザギザは五輪塔の外周の線を型取ったものだ、などという話をした。それから、生きるということの大変さ・・・、例え90歳になっても夢を持っていることの素晴らしさなど・・・。強い認知症のある利用者が少ないせいもあり、これが結構ウケてしまったのである。

卒塔婆の話の時に、一番前で静かに聞いている男性がいらした。その日、私の話を聞かなかった別のスタッフが何かの話の折に言ったのだ。「あの人、元、お坊さんだったのよ」・・・。

そういう情報はもっと早くに知っておきたかった。元プロの前でなんという事を・・・。

職場に来られる方々は、皆さんどこか身体に不具合を抱えている。片麻痺の方も多い。老齢による認知力の低下は、ある程度致し方ないにせよ(私も含めて?)、病気によって身体に障害が残ると知った時に〝自分の人生、こんな筈ではなかった〟と思っておられたのだろうか。

人は多くの場合、元気な間、または若いうちには、自分の将来は現在の継続のように変わらずに続いて行くものだ、と無条件に考えてしまう。そんな保証はどこにも無いのに、である。何の根拠も無いのにそう思えてしまうのは、今の日本が平和だからそんな錯覚を起こすのかも知れない。思えば幸せな事である。そんな幸せな(と自覚はしないだろうが)毎日を過ごしていれば、将来、自分が病気をして身体に障害を負うことになるかも知れない、などど切実に思う事も少ないだろう。それが現実に片足が動かない、片手が動かない、となった時に、〝こんな筈ではなかった人生〟に戸惑うのではないだろうか。

私の勤務しているデイケアの利用者は、明るい方が多い。動かない片手をポンっと叩いて、「本当にコイツがしょうがないから」と笑って言うのである。そんな方はきっと、〝こんな筈ではなかった人生〟は、実は〝こんな筈だった人生〟だったのだ、と現実を受け入れる精神の強さを持っておられるのだろう。〝こんな筈ではなかった人生〟は、実は〝こんな筈だった人生〟なんだと受け入れて、これからの人生を生きようとしている姿なのである。

このことは、とても大切なことだと思う。誰しも自分の将来が暗いなどとは思いたくないし、思わないものだ。しかし、何が起こるか分からないのが人生の妙でもある。それが不幸にして身体の不自由に繋がったとしても、その事実を受け入れられる心の柔軟さを忘れたくない。

この稿を書いている今日、関東で3月下旬としては32年ぶりの積雪を見た。満開の桜も〝こんな筈ではなかった〟と震えていた事だろう。何が起こるか、分からないのである。

二日後に私のアルバイトは終わりを迎える。事業所が閉鎖になるためだ。無言の教えを頂いた沢山の利用者の方々の、これからのご健康を祈るのみである。

初稿: 2020/04/04

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