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更新日: 2021/07/11

夜に

夜にの写真

このところパソコンでの作業が深夜にまで及ぶ事がよくある。元々が夜型人間であったことに加え昼間は昼間でなければ出来ない事もあり、夕方には家事もしなければならずでゆっくり作業に取り組めるのはどうしても夜間、ということになってしまうのである。言葉を選び、言い回しを考えなければならない、文章を書くような作業となると特にそうである。それでなくても貧困な語彙の持ち合わせしかなく、満足な文章を作り上げる力量も大いに不足している身であってみれば、一日の雑用を全て片付け終わり、何事にも邪魔されず〝作文〟に集中出来る時間帯といえばどうしても夜間、ということになってしまうのだ。ところが問題が一つある。それも夜に文章を書く、というそのこと自体が問題なのだから困ってしまう。

そもそも〝ヒト〟にとって、その生理は基本的に昼間活動出来るように仕組まれている。自律神経だって、交感神経と副交感神経が時間の経過によって徐々に切り替わり、生体機能を調節するために分泌されるホルモンの種類も、昼用と夜用とを準備しているのである。これは知り合いの薬剤師から聞いた話なので信用して頂いて良いと思う。私が口から出まかせのデタラメを書いている訳ではない。曰く、交感神経が優位になる朝から夕方にかけては、血管が収縮して血圧が上がり、心身が活動的な状態になる。そして夕方頃から副交感神経が徐々に優位となるべく切り替わっていき、血管は緩み血圧も下がっていって心身はリラックスして穏やかな状態になり、安らかな眠りに就くことが出来るのである。誠に結構な仕組みである。その結構な仕組みに逆らって副交感神経の言うことを聞かず、夜間に活動しようと言うのだから副交感神経の方だって面白かろうはずは無い。面白く無いから交感神経と連絡でもとっているのであろう、一つコイツをとっちめてやれくらいの相談でもして、結果、憐れ両神経諸氏の反撃にあったこの身は自律神経が乱れに乱れてしまうのである。

夜に活動するということはこのような〝反神経的行為〟であり、言わば上から下に流れる水を無理矢理、逆流させるようなものだ。物理である身体には良い影響を与えないことだろう。身体の疲労は休息することで癒すことが出来るが、メンタル面に影響が及ぶ場合がある。それが夜に文章を書く、と言うことの問題につながるのである。

ここから先は私の想像の世界に踏み込むことになる。よって、あまり熱心に読むほどのことは無いので注意が必要だと先に申し上げておくが、先ほどからも言っているように、本来は心身共にリラックス、穏やかで安らかな心身の状態であるべき夜に、乏しい脳みそを働かせ、乏しいが故に余計なエネルギーを使い、エネルギーを産み出そうとするために身体は興奮状態となる。その興奮状態のまま力づくで文章を書くわけである。アドレナリンの分泌全開の状態で書いている。よし、名文が出来た、良い表現をしたものだと欣喜雀躍、明日の確認が楽しみと眠った翌朝、昨夜の文章を読み直して吃驚仰天、周章狼狽することになる。芥川賞受賞作家の庄司薫氏風に言うなら、〝ギャッと言って飛び上がる〟ような文章に〝舌噛んで死んじゃいたい〟という心境になった挙句、何行かをdelete して書き直しをすることになるのだ。

同様に夜に書いた手紙、夜に書いた日記(日記は大抵夜に書くものだろうが)も同じ結果になる。これは私が高校時代に実際に経験したことなので間違いない。精神がまだ瑞々しい頃なのでエネルギーも半端では無かったのだろう、万感の想いを綴った・・・と思えた手紙を翌朝読み直して(〝ギャッ〟だ)、速攻、丸めて屑かご行きとなったのである。日記にしても数日後の昼間にふと読んで、人知れず赤面したことも数知れない。絶対に見られたく無いもののベスト3に入るだろう。それから数十年を経た今となっては、ちょっとくらいは読んでみたいと思わないでも無いが、それはおそらく感傷なのだと思う。現存していないので、感傷に任せて読み直し、〝ギャッと言って飛び上が〟った瞬間にどこかの筋や腱を痛めたり、骨折したりする危険が無いことを喜びたい。

夜には不思議な力があると思う。夜の魔力、と言っても良い。現実的な身体の生理上の話でなくて、科学性を離れても夜にはやっぱり昼間には無いなんらかの力があると思う。午前2時、3時という深更にも及ぶと都内の街なかとはいえ、外も家の中も静かになる。ひとり作業をしている時には、その静けさが逆に精神にある種の刺激を与えるのかも知れない。必要以上の感情の高まりのようなもの、それが周囲の静けさと自分を取り巻く夜という環境によって増幅されていく。そのような感情の高まりの中で作文したものは、翌朝の清明なる朝陽の中で読み直すと感情の過剰な部分が〝ギャッ〟の原因になるのであると思う。だから、夜に書いたものにはタイムラグが必要だ。正常な、というか平常な精神状態に戻ってからもう一度、読み直さなければ何度も〝舌噛んで死んじゃいたい〟思いをしなければならなくなる。

この稿を書き始めたのは夕方である。今はもう外は暗く、夜の時間に入っている。明日の朝、読み直した時に〝ギャッ〟っと言うか否かは、明日の朝になってみなければ解らない。

(付記)庄司薫氏の芥川賞受賞作品である「赤頭巾ちゃん気をつけて」が発表されたのは、私が高校生になったばかりの時だった。〝日比谷高校の3年生〟として設定された主人公が自分と同世代であったことや、過剰とも言える言葉の氾濫のような語り口調の表現は、当時の自分の気持ちに実にピタリとはまったのだった。書いている間にそんな古いことを不意に思い出したのも、夜の魔力のせいなのかも知れない。

初稿: 2020/05/17

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