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更新日: 2021/07/28

マイ・バッグ

マイ・バッグの写真

7月1日からスーパーマーケットやコンビニエンスストアを始めとして、いわゆる「レジ袋」というものが有料になった。気早くも、このこと有りとばかりにレジスター付近に携帯用のショッピングバッグが妙に目に付きだしたのは半年以上前からだ。小さく折り畳むことが出来、ハンドバッグの中にも、ポケットの中にでも収納できそうなこのショッピング・バッグを、世間では「マイ・バッグ」と呼んでいる。近頃では〝自分専用の〟という意味で、「マイ・箸」だの「マイ・楊枝」(楊枝が自分専用でなければ気持ち悪い)だの、果ては「マイ・醤油」「マイ・塩」なども登場していることとて、自分専用のショッピング・バッグを「マイ・バッグ」と呼ぶに疑問をさし挟む筋合いなど無いが、自分用の扇子を「舞い扇」と言わないだけ良しとすべし、だ。マイ・バッグまたは〝自然にやさしい〟という意味でこれも周知の使い方となっているエコ・バッグは、「容器包装リサイクル法」の関係省令である「小売業に属する事業を行う者の容器包装の使用の合理化による容器包装廃棄物の排出の抑制の促進に関する判断の基準となるべき事項を定める省令」という、およそ美的感覚も言葉のリズム感も全く感じさせない長ったらしい省令の改正に伴って、爾後、買い物には必須のものとなる。行政の定める省令の名前に、美的感覚もリズム感も不要であるとは理解するが、どうにも読みづらい省令の名である。因みに〝省令の改正〟であるため、違反しても罰則は無いそうだ。

ところで新しい時代のアイテムのような顔をしてレジ近くに並んでいる〝マイ・バッグ〟であるが、昭和30年代を知る者にとっては、新しくもなんとも無い習慣だ。確かに小さく折り畳んで携帯できるというのは過去になかった〝機能〟ではあるが、買い物に行くとき、買った商品を入れて運ぶための用意をして出掛けるのは日常当然のことであった。その用意の物、とは「買い物かご」。そのものズバリのネイミングだ。マイ・バッグだのエコ・バッグだのという言い方よりも私は好きである。「買い物かご」は当時の主婦の必需品であって、時分どきの商店街には買い物かごに腕を通して店先を覗く主婦たちで賑わっていたものだ。素材は竹や籐が多く、今で言えば口に留め金のないハンドバッグのような形に編んである〝籠〟で、大きさはB4版くらいだっただろうか。若しかしたらもう少し小さかったかも知れない。少し洒落たものになると、籠の一部の素材に赤や青や緑の彩色や模様を表しているものもあった。冷蔵庫などの食品保存方法がまだまだ不十分であった当時は、まとめ買いなどということは余り無く、基本的には夕方近くにその日その日の献立に沿って、足りない食材を毎日買いに行っていたのである。毎日行くために買い物の量もそれ程多くは無く、B4版大の籠でも充分だったのだと思う。当時はどこの家の台所にも「買い物かご」がぶら下げられていたものだった。買い物かご全盛期の商店街というものはほぼ全てが個人商店の、言わば専門店街である。都心のことはいざ知らず、私の住んでいた町にスーパーマーケットが出現したのは、昭和も40年代に入ってからではなかったろうか。

マイ・バッグにしても買い物かごにしても、何故それが必要なのかという根本的な理由は、人が〝買い物に行く〟からである。何を今更解りきったことを、というお叱りはちょっとばかりお待ち頂きたい。何故なら人が積極的に買い物に行かねばならないようになったのは、割合に歴史が浅いのではないか、と思うからなのである。

少なくとも数十年前には、様々な物売りが街々を回っていたものだ。早朝には納豆屋の「なっとー、なっと、なっとー」の売り声と鈴の音。貝売りの「アサリィ~、シジミィ~」の塩辛声。豆腐屋の、これは今でも聞かれる場所もあるようだが、あの〝とーふー〟に聞こえるラッパの音。その他にも御用聞きという、お店からの注文取りが定期的にやって来てくれた。御用聞きが来る、などというとなんだかお屋敷にでも住んでいたように思われるかも知れないが、それは大きな間違いだ。我が家は普通の家であった。当時はどんな家にでも御用聞きは来てくれていたのだ。八百屋、魚屋、米屋、酒屋・・・。酒屋はお酒だけではなく、味噌や醤油などの調味料も扱っていた。当時はお醤油といってもガラスの一升瓶なので重い。お米などと一緒に重い商品を御用聞きの店員さんに頼んでおけば、あとで届けてくれるのでありがたいシステムである。魚屋にしても八百屋にしても、当時はなんでも〝丸ごと〟の商品で、カットしてパック詰めなどされていないのだから、キャベツと白菜とカボチャを一緒に買おうものなら買い物かご一つではとてものこと、持ち帰れない。それに今とは違って核家族化も進んでいない時代には、家族も多く、小分けする必要もなかったのであろう。

つまり昔の消費者は〝家で待っている〟側だったのだ。それが社会の変化に伴って家族構成が変わり、それに沿うように商店の在り方が変化し、これも社会の変化に伴う消費者側の理由か、欧米式を取り入れたのか、ことの次第はよく判らないが、一箇所でほとんどが揃うスーパーマーケットが登場し、結果として〝待っている側〟から〝出かけてゆく側〟へと消費者の立場が変わっていったということなのだと思う。出かけて行って買い物をすれば、「買い物かご」も必要になろうというものだ。それが、会社帰りのお買い物に買い物かごをお持ちになるのは大変でしょう、はいはい、こちらでご用意させて頂きましょう、という顧客サービスのため、レジ袋の登場を見たのがここまでの歴史だったのだと思う。

レジ袋の有料化で更に注目を集めだしたマイ・バッグであるが、その由来を思うと、竹や籐で編んだ買い物かごや、定期的に回って来てくれた八百屋や魚屋や米屋・酒屋のおじさん・お兄さんのこと、果ては江戸時代の物売りの事などが浮かんで来る。江戸の物売りの様子は寄席芸人の芸でしか知ることが出来ないが、その種類の多さ、決まった時期に決まった物売りがやって来て、その声で季節を感じる庶民の生活は、消費者が〝買いに行く〟側となった現代から見るとなんと豊かだったろうかと思う。まさにこの時代は消費者が〝待っている〟側にいた、と言える。

「マイ・バッグ」を忍ばせて買い物に行く時間がそろそろ迫って来たようだ。さて、今日の献立は何にしようか・・・。

初稿: 2020/07/05

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