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更新日: 2021/08/14

カッコいい とは?

カッコいい とは?の写真

〝カッコいい〟という言い方は、本来の〝格好が良い〟或いは〝格好良い〟が変化した使われ方である。口語体として〝格好〟が〟かっこ〟に、話し言葉として、助詞の〝が〟が落ちた形で定着してしまったようだ。今や口語体としてのみならず、キャッチコピーや文章の中でもすっかり日本語として定着し、現在では老若男女を問わず、誰でもどんな場面に対しても普通に使われる言葉となっている。言葉というものは生き物同様に、その宿命として〝生まれて〟〝変化し〟やがて使われなくなって〝死語〟と言われる過程をたどるのであるから、それはそれで目くじらを立てるほどのことではなかろうと思う。早い話、この〝カッコいい〟と同じ意味を表す言葉としてひと昔前には、〝イカす〟という言葉が使われていたのだ。「ジェームス・ディーン、イカしてるわぁ!!」などと、当時の〝若いムスメ〟たちは喧(かまびす)しく騒いだものである、私はまだ子どもであったためと、両親が言葉遣いに比較的やかましい方であったので、聞くばかりで使ったことは無い。つい50年か60年ばかり前のことであるのに、もし今、「彼、イカしてるわねぇ」などと言ったら、意味を聞き返されるか、知らん顔されるか、悪くすれば友達は一人去り、二人去り、〝そして誰も居なくなった〟などという事になりかねない。もはや死語、である。

この〝カッコいい〟というのは主観的なものである以上、ものの好悪、つまり好き嫌いが影響することになる。自分が〝好きだ〟と思う要素が多く含まれていれば、〝条件によって〟それをカッコいいと思う訳である。つまり見る側の、少し大げさに言えば人生観として良しとするものが、見られる側の見た目、挙措振舞い、言葉遣いなどのどこかに、ある割合において自分の好みと合致した場合、それをカッコいいと思うことになる。条件によって、と書いたのはその意味である。何処かにも書いたが、ライブでソロを弾くことになったギター青年が「カッコいいフレーズを教えて下さい」と井上堯之に聞いたところ、「君がカッコいいと思う事とはどんな事?」と聞き返されて目を白黒させたことがあるが、これなどもカッコいいということがひとえに主観的なものだ、という理由によるのである。井上自身がカッコいいと思う事とその青年がカッコいいと思うこととは違う、ということを井上は伝えたかったろうし、別に勿体をつけた訳では無いのだが、弾く当人が何をカッコいいとするのかが解らなければ結果、井上のカッコいいと思うものを押し付けることになるので、それを避けたかったのであろう。

人とは違っている(良い意味で変わっているということでもあるが)ものに対して、人はカッコいいと感じることもあるのでは無いだろうか。または、自分には出来ないことを難なくしてしまえる生き方や、行動などに対してもそうであろう。そう考えると、カッコいいということには、一つの憧憬的な要素も含まれているのかも知れない。

そして当然と言えば当然なのだが、カッコいいと言われたり、思われていたことは表現の差こそあれ、何も今に始まった事ではないのである。室町時代後期から戦国時代を経て江戸時代初期に至るまでの時代にも、一部の若者たちからカッコいいと支持されていた者たちがいた。〝傾き者〟と書いて〝かぶきもの〟と読む。形容詞では〝傾いた〟となる。この傾いた者たちは、一般の武士たちの見た目とは余程かけ離れていて、背中に金のしゃれこうべの縫取りがある羽織を一着に及んだり、帯びている太刀も定寸をはるかに超える長大な物であったりという、奇抜な風体をしていた。その〝傾き者〟のナンバーワンは、かの織田信長であったろう。当時稀に見る端正な風貌・美男であった上、華麗な装束で美駒を疾駆させる姿、また、研ぎ澄まされた刃物のような鋭さと、危うさと脆さを内包していたとも言える生き方は、当時において相当にカッコ良かったのではなかろうか。特に信長贔屓という事ではないのだが、今のカッコいいという主観的な感情はいつの時代にも共通のものとして存在していたのだと思うにあたり、ふと〝傾き者〟という言葉が思い浮かんだのである。

では、カッコいい、という言葉自体の意味はどう説明すれば良いだろうか。例えば、上・下・右・左などと言う言葉を的確に説明することが難しいように、〝カッコいい〟という感情・精神作用を説明する適切な言葉はなかなか見つからない。そこでこれは井上堯之の受け売りになってしまうが、カッコいいということの説明をかつてこのようにしていた、と紹介する事にしよう。

「50%の予測と裏切り」。

行動のカッコよさ、という事を例にとれば、ああ、ここは多分こうするだろうなと、自分が予測したことと、アッと驚くような事態とが一定程度のバランスを保った状態で起こった時に「なんとカッコいい」と感じてしまうものだ、という意味なのであり、その割合が50%づつであることが〝カッコいい〟ことの条件なのだ、と言うことである。予測とそれを覆す裏切りの割合が、40%:60%ではなく、50%:50%。半々であることが、カッコいい、という事の意味である、としていたのだ。

物事などに対して自分の予測(好みも含めた)に殆ど合致した時には「ああ、やっぱりね」という平板な思いを感じるものだと思う。つまりそこには驚きやらそれとは正反対の安心感やら、時には嫌悪感などが起こることが少ない。逆に、全く予測にも無かった場合には、驚愕・嘲侮の思い・嫌悪感が残るだけにもなりかねない。その意味において50%:50%の予測と裏切りの割合、ということは、「やっぱりね」でもなく、「なぁんだ・・・」という失望でもなく、反感でもない、自分の好みではあるが、かと言ってそれが全てではなく、驚き、呆れなども含めた、全く別の感情が浮かび上がる。それが〝カッコいい〟ということなのだと思う。

言わずとも知れたことではあるが、人の目を引くだけの奇抜な服装や行為は決してカッコいいとは言えない。それと同時に、カッコ良く見せようという作為を伴った姿・行為はわざとらしいし、度が過ぎればキザ、という事になり下がってしまう。

行為にしても姿形にしても本当の意味で「カッコいい」と思われるのは、なかなかに難しいのである。

初稿: 2020/10/04

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