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更新日: 2021/08/31

地獄の沙汰も・・・

地獄の沙汰も・・・の写真

お鳥目(ちょうもく)、要足(ようきゃく)、お足、先立つ物、丸(まる)、丸物(まるものーかつて東京にあった百貨店の〝まるぶつ〟、ではない)、阿堵物(あとぶつ)、ヤマブキ、袖の下、鼻薬、現ナマ・・・。これらは皆「お金」を意味する言葉である。その他にも時代、使い場所によって、お銭、ちゃんころ、銭(ぜに)こ、ゲル(ゲルト)、実弾、などもある。一つの〝もの〟を表すにこれほど多様な言い方のある言葉も少ないのではなかろうか。

〝銭(ぜに)〟を〝ちゃん〟と読むのは中国語の読みの一つである「唐音」による。唐音は、禅宗によって伝えられた読み方と言われ、もう一つの読みである「呉音」は天台・真言の密教系の僧がもたらした、という説も聞いているが真偽のほどは定かではない。何れにしても「唐音」「呉音」とも仏教を介して日本に流入してきた読みのなのである。

さて、お金。お金の話というとなんとなく生々しさを感じてしまうかもしれないが、ここではなるべく生々しくなく話をしたい。冒頭でも書いたように一言「お金」といえば済む事を、これほどまでに様々な言い方があるというのは、やはり生々しさを避けるためであろうか、そのものズバリと言うことを憚る場面が多いのが理由かもしれない。どの業界でもそうだと思うのだが、収入(ギャラなど)の額を口にするときには、その業界特有の符牒が必ずと言って良いほど存在し、先ず覚えるのが数の符牒なのかも知れない。 時代・使い場所によって、と書いたが、いくつか例をあげてみよう。

お金を「ゲル」(ドイツ語でmoneyを意味するゲルトを略したもの)と呼んでいたのは戦前の学生たちだった。現在のように繁華街で石を投げれば学生に当たるような時代ではない。当時の学生は学士さんとも言われていた事でも分かる通り、一般人からかなり尊敬の目を向けられていた存在だった。〝学生である〟こと自体が尊敬に値することだったのである。明治維新後、西洋の文化をこれでもかというほど取り入れていかなければならなかった政府が、特に医学においてドイツを最先端の医学知識を持つ国、と認めた(かの森林太郎ー森鴎外ーの進言が大きく影響した)ことで、学生はもれなくドイツ語を学んでいたことと思う。その学生たちが気取りと誇らしさをない交ぜにした気分で「ゲル」という言葉を使っていたというのは、さもありなんと頷ける話である。

お鳥目、という言い方にはなんとなく床しさを感じる。これは少し古い言い回しだが、明治・大正頃の小説などでよく見かける言葉だ(もちろん現在でも使用されている言葉でもある)。場面としては花柳界の女性やその周りの判官たちの言葉として。「扇子にお鳥目を受けて」などという言い方はそれだけで絵になるような印象がある。かつて、ある有名な土建屋上がりの政治家が、同じく土建屋上がりの総理大臣に右手を差し出し「現ナマ」を載せてもらってすかさず左手も出した、というのとは雲泥の差である。政治家センセの話が出たのでついでといっては失礼ながら、センセ方の選挙の際にも特別な言い方が登場する。「実弾」、「袖の下」。これも「お金」という直接的な言い方よりむしろかなりリアルで、その性格と目的を的確に表していると思う。

「丸」、というのも面白い。親指と人差し指で輪を作ってそのまま掌を上に向ければ「お金」の意味になる。由来はそんなところから来ているのだろうが、しかしこの形、仏像の印相でもある。そしてそのまま指の輪を額に持って行けば・・・夜の蝶たちがよくする仕草、「桜田商事」(警視庁のこと)の方々、の意味になる。そして私の敬愛する植物学者・牧野富太郎博士の著書に「もしも私に○があれば・・・」という箇所がある。生涯を清貧で過ごした牧野博士らしい書き方である。

次は「ヤマブキ」。ところはお江戸の代官屋敷。人払いした座敷で差し向かう代官と大店の主人。その間に置かれた菓子箱の中には、山吹色に輝く大判・小判。「越後屋、お主もワルよのぉ」。

ところで、釈尊は「無知」「怒りの心」に「欲」を加えた3つを〝人間の三悪〟と言って、これらを消滅させることが「苦」を逃れる道だと説いているが、生身の人間をやっているとこのどれもが少しづつでも無いとやっていられない、ということになる。理想は理想、現実は現実、ということだろうか。生きるためには食べなければならない。食べるためには食べ物を得る手段(お金)が必要になるのは必定。釈尊の教えは理想・思想として大いに認めるところではあるが、現世では月末は必ずやって来るし、動くためには食べなければならない。太古の昔のように物々交換で食べ物を得ることも出来ないのである。欲、とまではいかなくても多少の融通は利くようにありたいと思うのは、釈尊さんも認めて下さるのではないだろうか。

太古の昔は物々交換、その後、飛鳥時代になってやっと日本初の貨幣である「富本銭」が鋳造されるようになり、平安後期から戦国時代には中国からの明銭である「永楽通宝」が長く使用されて来た。これらの銅銭には真ん中に穴が空いていた為、お金のことを「丸」と言うようになったと言われているが、穴は丸ではなく四角だった。銅銭自体が丸かったのでそこから来たのではないか、というのが私の推測なのだ。

織田信長が京都を押さえ、舅である斎藤道三に倣い、それまで寺社が有していた専売権を撤廃して誰でも自由に商売ができるよう城下に「楽市・楽座」を設けた時から、本格的に貨幣が流通するようになって行く。

ところがまだ全国統一がなされていなかった時代、流通するのは東(江戸中心)では金、西(大阪中心)では銀、と違っていた。そこで〝両替商〟なる商人が巨大な富を蓄積することとなったようだ。関ヶ原以降、家康が全国統一を果たしたのち、金座・銀座を設け、金貨・銀貨・銅貨の3貨幣が鋳造されるようになった。よく知られていることだが、東京の銀座は当時の「銀座」があった場所。今では銀座といえば各地に何々銀座、という名の場所があるが、これは殆どが〝東京の銀座のような〟賑やかな場所、という意味合いが多い。一方「金座」と付く地名は私の無知故か、あまり知らない。聞くところによれば、東京の日銀本店のある場所が当時の金座のあった場所だということである。

しかし「お金」というものは面白い。沢山あっても置き場所に困ることもなく(困るほどあったためしがないので、本当は困るのかも知れないが)あれば便利なものなので、なければ不便である。しかし不便はやりようでなんとかなるものと思っている。おかげで幸せなことに無ければ無いなりになんとかやっている。「天下の回りもの」が回って来ていないだけの事であると思えば大した事ではない。しかし人に「欲」というものがある限り、そしてそれが果てしないものであればあるだけ、欲を満たす方便であるお金に執着することは欲の比重を増して行くだろう。地獄の沙汰も金次第。この世の執着のミイラをあの世にまで持って行って、それで閻魔様まで買収できるとなると可笑しいやら、やり切れないやらで、何ともよくわからない。

初稿: 2020/11/08

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