Tシャツ(赤)
のご紹介

Tシャツ(赤)の写真

インパクトあるロゴを赤で楽しむ

Tシャツ(赤)

井上66歳の年に企画された、Inoue66全国66カ所ツアーを機に作られたTシャツ。当サイト管理者が札幌ライブに当時来場者として参加していた頃の思い出を、その物販を巡って、Tシャツものがたり、として回想する。楽屋を訪ねることなど思っても見なかった事が、実は・・・。Tシャツを会場前の飲み屋さんへ行商に?。管理者がまだ単なる一ファンであった頃の話。

Tシャツ 赤
〜骨についた力瘤〜

このサイト内・阿迦奢Booksで販売しておりますPhotoBook「Tシャツものがたり」では、Tシャツにまつわる筆者の想い出と共に自然の中に置かれた3枚のTシャツの写真が素材になっています。また、My Monologue では「Tシャツ・赤のおはなし」として駄筆を奮っておりますので、このTシャツ・赤はお馴染みになってしまいました。

商品として改めてご説明させて頂きますと、最大のポイントは井上堯之・初のソロアルバム「Watermind」のジャケットイメージのロゴでしょう。このアルバムをリリースする時、井上堯之は大変躊躇した、と言います。「オレのようなものがソロアルバムなんか出して良いのか」と。自分を前に出すことを極力控えたかったのに、前に立たざるを得なくなる事が多くあった人生を送った井上堯之。その相反した生き方そのもののような、〝骨についた力瘤〟のロゴデザインは、現在でもファンの間では良く知られたデザインと言えます。ロゴ色の「青」、「オレンジ」のうちの一つです。

赤いミリタリールック
〜GSブームと「夕陽が泣いている」〜

「赤」という色彩、筆者には〝赤いミリタリー〟。ザ・スパイダースのユニフォームが連想されてしまいます。

日本にGS大ブームが巻き起こったのは1960年代中頃。それ以前には、アメリカのインストゥルメンタル・バンド(当時はその演奏スタイルから〝エレキバンド〟と言われていた)である、ザ・ベンチャーズが日本で持てはやされていた時期がありました。それこそ猫も杓子もエレキに夢中になり、アマチュア・バンドが雨後のタケノコのように生まれた時代です。そして1967年から1969年の僅か2年の間に100を超すグループが存在していたという、ちょっと信じられない現象が起こっていた時代でした。

その大ブームの契機ともなったミリオン・セラーが、「夕陽が泣いている」(1966年9月リリース)ではなかったでしょうか。作詞・作曲は浜口庫之助氏。歪んだギターの強烈なスタッカートで始まるイントロを浜口氏が聴いて「なんだこのアレンジは!」と大層なご立腹だったという話は有名ですね。当時はイントロまで作曲家が記譜していたそうですから、さぞ仰天された事でしょう。それからかなりの年月を経て、どこかのスタジオか何かで井上堯之が浜口氏と会話をする機会があったそうです。結局その時の話は出なかっのですが、今言われるか、今言われるかと思っていたそうです。それだけ演奏者の側にとっても色々な意味で印象深い楽曲だったのでしょう。

リリース日には当のスパイダースはヨーロッパにいました。リリース日には日本に居ない方が良い、というのは田辺昭知氏の戦略だったという話も聞いています。その当時からプロデューサーとしての鋭い感をお持ちだったのですね。

色の不思議
〜相撲の色ふさは人生の色?〜

色は一見しただけで、その温度感や季節感や意味すらも感じ取れる不思議さを持っていると思います。

大相撲が行われる国技館の天井には、四色の総(ふさ)が下がっており、それぞれ四方の守護神を表していることはご存知の通りです。改めて挙げてみますと、

土俵の正面は「北」で、左回りに方位が決まるそうですので、そのまま読むと「東南西北」。筆者は麻雀は嗜みませんので詳しくは知りませんが、やはりこの順序でゲームを進めるようですね。もともと四方位の神は中国から伝わったものですので、中国発祥のゲームもこの四神を意識してのこと、なのでしょう。

ここで感心するのが、方位と色と季節の関係です。陽が昇り一日が始まる「東」が季節は「春」で色は「青」。一日が成熟する「南」が「夏」で「赤」。西は夕暮れの「秋」で「白」、「北」は明日を期す夜の「黒」。絶妙としか言いようがありません。何だか人の一生にもなぞらえられるようです。

春は青春の青、夏は壮年の赤、秋は鎮静の白、冬は沈黙の黒。さてみなさんの人生は、今、何色ですか?。