空間音楽を身近に。世界初の波動盤CD
2015年秋から2016年春先まで続いたレコーディングにより、音楽CDとしては世界初の試みである波面合成方式(波動録音)を用いた「The Guitar」が誕生しました。録音は最も基本となるマイク設置による一発撮り。本来は8チャンネル必要な音源を、家庭用オーディオでお楽しみいただける様に2チャンネルにミックスしています。
2015年10月。最新技術を使った録音方式がある。その話を聞いたのはちょうど井上堯之のCD制作についてある企画を考えていた時期でした。そんな折に持ち込まれたのが波動録音方式でレコーディングできるスタジオがある、という話です。デモ音源を聴かせてもらう為、井上とスタジオを訪ねたところ「初めての音体験だ」という印象が強く、井上もこのレコーディングに乗り気になった事もあって歌詞のある楽曲も全てインストゥルメンタルで収録するアルバム制作が始まりました。
波動録音は楽器本来の音と、空気中に広がる音の響きを可能な限り忠実に録音・再現できる新技術です。録音された信号に含まれる〝音の位置情報〟から演奏者の位置を計算処理することで音の響きに、より一層の奥行きと広がりを持たせることが出来ます。本来の波動再生には専用のスピーカが必要ですが、本シリーズのCDでは井上のギターとそれを取り囲む奥行き感を、ご家庭の2つのスピーカシステムのステレオで感じて頂ける音創りがなされています。この録音方式での音楽制作は世界で初の試みとなりました。
録音技術は最新ですが、実際の録音は昔ながらのマイク設置による〝一発録り〟。楽曲の最初から最後までを演奏し切れなければ始めからやり直さなければなりません。その苦労話は「The Guitar II」のページに譲ることといたしましょう。
井上堯之のラストレコーディングとなったシリーズ1枚目のアルバムです。
井上堯之はリズムについて独特の感じ方をしていました。四分音符が4つある1小節について、その1小節を池に、音符を池の中にある石に例えます。その石を踏んで向こう側に行くときに、石の〝どこを踏むか〟ということが井上にとっては大切なことでした。同じように向こう側に渡るにしても、置かれた石の手前を踏むか、中程か、一番遠い部分か。踏む位置によってリズムーグルーブ感といっても良いーが異なってくるという感じ方をしていたのです。3人がイチニのサン!で向こう側に渡る情景を想像してみれば分かり易いと思います。石を踏む位置が異なれば、横から見て3人は一線に揃っていない(発音のタイムが違う)ということになります。
リズムに対する感じ方、表し方というものは、個人個人の呼吸タイミングが違うように、同じでは無いと思います。先の例えでいえば、石のどこを踏むのが正しいとか間違いだとかという〝正誤〟の問題ではなく、あくまでも〝感覚〟もっと言えば〝好き嫌い〟の世界の話になるのです。自分の〝好き〟なリズムで演奏出来ること、それは恰も気の合った相手との会話を楽しむ心地良さのようなものだと思います。
まだバンドで演奏していた頃、MCの途中で「子猫のポルカ」という楽曲を紹介するつもりで一人で弾き始めたことがありました。セットリストにない楽曲でしたが、バンドにトラ(臨時)で入っていたドラムが合わせ始めた直ぐ後に「・・・っていう感じの曲なんです」と演奏を止めてしまいました。ドラムが悪い、ということではなく、そのリズムでは演奏出来なかったというのが真相でした。
井上堯之は音楽に対しては〝より〟(?)わがままでありました。
このアルバムは歌詞のある楽曲もギターでメロディを弾いている「インストゥルメンタル・アルバム」ですが、弾き語り「泣きぬれて恋をして」がボーナストラックとして収録されております。当時、〝ショーケンファン〟?の方から「泣きぬれて恋をして」と「しょうがねぇなぁ」を是非聴きたい、と言われたことで井上本人も曲を発掘する気になり、ライブでのレパートリーに加えておりましたので、この2曲もレコーディングする予定になっていたのです。
さて、レコーディングもやっと終わりに近くなった頃、弾き語り「しょうがねぇなぁ」の収録日になりました。当日、井上宅へ迎えに行き、井上の顔を見た途端「あ、今日は無理だ」と感じました。井上は本来、レコーディングは好きな方なのですが、その日に限って気持ちが乗っていないのがアリアリとしていたのです。
「今日、行きたくないですか」に、「うん、今日はなんだか、な・・・」という答え。若い頃ならいざ知らず、75歳になんなんとする今、本人の気持ちがレコーディングに向かっていない時に1時間強の時間を掛けてスタジオに向かい、録音しても良い結果は出ないと判断しました。「〝病気〟になりますか?」で「そうして」。かくして私は〝しょうがねぇなぁ〟と思いつつ、スタジオで待機してくれているスタッフへ電話をすることに・・・。ここにズル休みが成立したと言う訳でした。スタジオで電話を受けたスタッフは恐らく真相に気づいいたと思いますが、何も言わず快く了解してくれたことに今更ながら申し訳ないと思っています。
いつか機会を得て、ライブでの「しょうがねぇなぁ」弾き語り音源をCD化したいと思っております。