井上堯之の演奏をバックに弾く、歌う!・第一弾
井上堯之がソロライブにおいて使用していたバック演奏は、ドラムやベースなども入っていないギターだけのものです。敢えてギターだけにしたシンプルな伴奏は、バンド用の楽曲であってもギターだけで成立するように自身で編曲し、演奏しています。この伴奏のCD化が実現いたしました。
あれはいつ頃のことだったでしょうか。井上堯之がプロミュージシャンからの引退宣言をして、そのために既に決まっていたライブが中止となったため、そのお詫びの気持ちも含めたライブ活動を細々と始めてから暫く経った頃ですから・・・、2012年頃のことだったと思います。場所は名古屋市内のライブハウス「音邸」さんでした。その日も全国から沢山のファンの方々がおいで下さっていました。皆さん、長く井上を応援して下さっている方々です。ライブ後には恒例の、ファンと一緒の打ち上げを楽しんでおりました。
ところで、その当時のライブレパートリーは、全国ツアーの「INOUE’66」で演奏していた楽曲で、ライブのスタイルもギター4本に囲まれて、楽曲に合わせてギターを取り替えながら演奏するという「INOUE’66」でのスタイルそのままでした。「INOUE’66」で演奏していた楽曲は、そのツアーの少し前くらいから井上が作曲した楽曲が多く、勿論その後も演奏し続けていたものもあるのですが、古くからのファンの方々には正直言って、もっと懐かしい楽曲も演奏して欲しい、というお気持ちもあったことと思います。
ビールも程よくまわった頃、何方かが「こんな曲も聴いてみたい」と言い始めました。そう、萩原健一さんと一緒に活動していた頃の楽曲とか、ソロ活動していた頃のもの、古くはPYG時代の楽曲なども。肝心の井上がすっかり忘れているものもあり、「どんなんだっけ?」と問い返す始末。そこでスマホに保存してある楽曲を再生して井上に聴かせ、井上も「ああ、そうだ、そうだ」と言っていた光景は、「へぇぇ、みんな良く覚えてくれているんだね」と本心から嬉しそうに言っていた井上の表情とともに今でもよく覚えています。
井上堯之という人間は常に前を向いて生きていたいタイプです。その為か、過去のことはあまり振り返ろうとしません。そして〝こんな古い曲なんてやっても仕方ないだろう。自分の曲なんて大したもんじゃないし〟という考えをずっと持っていたのでした。
名古屋での打ち上げの時、ファンの方々が昔の楽曲をそんなにもお聴きになりたがっている、という事実を知ったことは井上にとって大きな驚きとともに喜びでもありました。自分の想いとは裏腹に、過去の楽曲もみなさんから今でも支持されている、という事が言いようもない嬉しさになっていたのでしょう。それならばこの先、古い楽曲もレパートリーにしようか、という成り行きになったのは自然の事でした。
ソロ時代に発表した楽曲や、萩原健一さんへの提供曲、それから映画音楽もいいね、と、以前の楽曲の発掘作業、洗い出しが始まりました。「INOUE’66」で演奏していた〝I Stand Alone〟〝Diamond Drop〟〝Wind Road〟〝街角・パントマイマー〟などは、その後のライブでは定番となりました。ソロ時代の楽曲では、〝いま一度〟〝テンダー・ナイト〟〝お元気ですか〟〝陽だまり〟〝セコハン・カー〟他がピックアップされます。映画音楽では〝雨のアムステルダム〟〝青春の蹉跌〟映画版・傷だらけの天使から〝傷だらけの友情〟〝Days of Blues〟も選び出されました。その他にも数多くの楽曲が、長い空白の時を超えてライブで演奏されるようになったのです。このCDではこれらの中から〝I Stand Alone〟〝お元気ですか〟〝Days of Blues〟〝青春の蹉跌〟、懐かしいPYG時代の〝自由に歩いて愛して〟〝花・太陽・雨〟の6曲が収録されています。
今後、第二弾、第三弾と井上堯之がソロライブで演奏した楽曲のギター伴奏CDをリリースして行きたいと考えておりますので、このCDに収録出来なかった楽曲たちも蘇ってくることと思います。
その時にリードを演奏するのは、そして歌うのは井上堯之ではなく、皆さんご自身です。どうぞこれからの続編をお楽しみにお待ちいただきたく思っております。
このCDのギター伴奏をお聞きいただくとお分かりのように、収録楽曲はオリジナルでは全てバックはバンド演奏でした。しかしライブで使用していた伴奏は、演奏は勿論井上自身がしておりますが使用しているのはギターのみ、です。ドラムにしろベースにしろ、ダビングが簡単にできる時代にも関わらず、このような形式になったのには理由があるのです。
ソロライブで使用する伴奏、という事を目的として録音するにあたり、井上の中には一つのこだわりと制約がありました。それは、バンド演奏だったオリジナル楽曲をあくまでもギターのみで一つの楽曲として成立させられるようなアレンジをする、という事でした。
元々がバンド演奏のものを、ギターだけで伴奏アレンジをするとどうしても無理が生じてしまう楽曲も出て来てしまいます。伴奏に厚みがなくなる事を百も承知でアレンジをし、レコーディングをし、そしてライブで演奏し続けました。そこには、あくまでもギターだけの楽曲として演奏したい、成立させたいという井上の強い想いがあってのことでした。それは一人の〝ギタリスト〟として、究極の追究をする姿だったのかもしれません。そしてその想いが波動盤の「The Guitar」と「The Guitar II」へと繋がっていったのです。
この伴奏録音は宅録でしたが、以前にもライブで演奏していた楽曲を新たに録音し直したものもあります。テンポを変えたり、雰囲気を変えたりしています。とは言え使用していたレコーダは民生のもので、しかもEQ(イコライザー)は2バンドしかありません。エフェクターは使わないほうが良いようなシロモノで、2バンドのEQだけと格闘しながらミキシングしていた事を懐かしく思い出します。井上は演奏が終わると「後はよろしく」と自室に引き上げます。このころから井上の〝弾き逃げゴメン〟が始まったのかもしれませんね。
ミックスが終わると井上に聴いて確認してもらうのですがこれがドキドキ・ハラハラの時間で、じっと聴いている井上の表情の変化を凝視し続け、「いいじゃない」と言われた時のホッとした気持ちは今でも忘れられません。